詩羽「deny」「MY BODY IS CUTE」砕かれた羽 攻撃は幸いのキュート

今回は24年のベスト上位曲の考察コラム風ストーリーです。

※本記事の解釈はあくまでも筆者独自の見解であり、実際の人物や作品の意図とは異なりますのでご了承下さい

 詩羽「deny」

24年7月4日配信(8月CD)リリースのAL『うたうように、ほがらかに』収録曲。

・作詞作曲 詩羽 ・編曲 吉田一郎不可触世界

柔らかく頼もしい歌声と歌詞をドラマチックなサウンドに乗せて

感情が解放される様に広がるRockバラード(☆4.1)

7月にamazonのサブスクでALを聴いて「deny」という曲に惚れた。

そして、実質この1曲の為にAL配信購入した。

サビの”心のよりどころが~”のとこ歌声も歌詞もメロもストライクで心地よすぎた。

ラストのクライマックスに向かってく感も最高だ。

タイアップ曲でも無さそうだし

なんでこんな売れ線POPSがしれっと入ってるんだ!?とビックリした。

ヘビロテ期間を経て2、3ヶ月経ってから、この曲のPVの存在を知り観たが

あまりにも自分の脳内に描いていた情景とカラーが違っていた。

「えっ、こういう曲だったの?」普段そういう表現てなんか好きくないが、

正直戸惑ってしまった。

彼女にとって独白的でかなり意味深そうな内容で、

もしもこの曲/PVは相当な覚悟と意味を持って発表されたのだとすれば

それまで何も知らず曲を聴いて描いていた世界とのギャップの大きさに戸惑い

これからどうこの曲と向き合って聴けばいいのかと混乱してしまった。

初めに見たときには自分でもよくわからない、

もしかすると怒りにも似た感情すら感じてしまったかもしれない。

パフォーマンス以外で彼女の思想や言葉を深く追って来た訳でもないのに

勝手にもっと深い所で伝わってたのにと思ってたのだろうか。

「deny」MV

紹介しといてだが、この曲は音だけの力で
十分にエネルギーや感動も体感出来ると思うので
 
曲を知らない人は、まずは再生だけして映像は見ない事をオススメしたい。
 
映像は後からいつでも見れるし、
選択肢は後に残しておいた方がいいとは思う。
 
と言う事で、先入観を持ちたくない人はまずはスキップ推奨だ。
 
 

※音声だけ聞きたい人のために再生開始位置を変更しています

 
 
なんでここまで、自分がこのMVに罪悪感を持ったのか。
 
それは彼女を通して見ていた姿がそこにあったのかもしれない。
 
 

ずっと前から その姿見ていた

だってカンパネラで2代目になってのデビュー曲「アリス」を見た時から

どんなド派手な衣装を着たって、明るい曲を歌っていても

常に彼女自身から流れる涙が見えたし、それは時には血にも見えた。

彼女自身が涙や影なのだ。

だからこそ彼女の全開の笑顔は自分自身への許しや祈りにも思える。

他の人だとやりすぎで営業的な笑顔になりそうな所も

彼女の場合はむしろバランスが取れてナチュラルだし、何より救われるのだ。

だからこそ、大丈夫。ネタばらしや告白なんていらない

いいのだいいのだ、これでいいのだ。凡馬言ぇ

と脳がヒューマンエラーの拒絶反応を起こしたのだ。

そこの勝手に言葉にしなくても通じてたつもりでいた部分が

「さぁ、本当の私を教えよう・・・」とタネ明かしがされてしまう様で

自分にとっては、それは無しだったのだ。身勝手な話だが。

それはまるで、普段から傷だらけの状態なのに、

さらに自ら傷をえぐる様な物語を見る感じがして嫌悪感すら覚えた。

別の言い方すれば、当人が不本意な形で出されたヌード写真集を

不意打ちで見てしまった様な罪悪感な感じ?でも伝わるかも。

大大前提として、念の為書いておくが当然彼女は何も悪くないし責めてもない。

あくまでも発信側でなくて、こちら(受け取り)側の問題の話だ。

そうか、きっと自分が見ていた彼女は、華原朋美「IBILIEVE」ばりに

カンパネラの2代目歌い手になった時から

「deny」MVの黒髪の彼女の姿を見ていたのだ。

それでもMVのコメントでは救われた的なコメントも多いし

詩羽とは涙であるとか言っちゃってる自分がクレイジーなだけで

多くのリスナーにとっては、映像に落とし込んでくれた事で

メッセージをストレートに受け止められたり、

希望や勇気を貰う人だって沢山いるはずだし

とても素晴しい事なのかも知れない。

分かった風では書けないが、

少なくとも自分が知る限りでは、俳優業含めても

ピアスも無く、黒髪の彼女を見るのはカンパネラでの襲名以降初めてだし、

これまで彼女が見せてこなかった部分を、見せたという事は

彼女自身が何かしら決心や意味があるからだろうし、

リスナーとしてはその気持ちを尊重したい。

そう思いつつもやはり自分としては

PVの事は一旦忘れてこの曲とは付き合ってきた。

しばらくして新曲の「bonsai (feat.CENT)」にハマり、

少し経ち「deny」のライブ歌唱動画無いかな?の流れで

公開ラジオ?で披露された「MY BODY IS CUTE」を偶然聞いて

あれ?こんな良い曲あったけ?と感動してしまった。

久々にALを聞き返したら他のAL曲への印象もまた違って来た様に思う。

「MY BODY IS CUTE」「トワイライト」の2曲が新たにプレイリスト追加になった。

確かに当初は「deny」に一目惚れしてALを手に入れたが

ちゃんと全曲聴いてたのに、当時他の曲は響いておらず

完全にAL=denyになり過ぎていた自分に反省だ。

 
 
曲は出だしからサビの1節の
 
MY BODY IS CUTE 抱きしめてキスをしようよ“と始まるのだが
 
恐らく、あまりに爽やかで使い古されたアイドルフレーズに
勝手に「この曲はあんまり好きなタイプじゃないな・・・」シールを
ぺたっと貼ってしまい、それ以上心に入り込まず
印象にも残らなかったのだと思う。
 
いやー自分をぶっ飛ばしたい
表層だけで判断すんなと。
 
ずっと世間からアイドルPOP等が軽視される事に警戒し、
抵抗して来た側のはずなのに。
 
 
「MY BODY IS CUTE」。
この曲に出会えて、たどり着けてよかった。
ちゃんと向き合えて・ちゃんと作品に信頼を築けて良かった。
 
ほら、こんなにPOPで明るい世界で彼女の魂は叫んでいる。
 
毎日泣いていたこと 自分を愛したかった証拠
 正解なんてひとつじゃないし 可愛いの定義は自分で決める
 
まるで子供の様に無邪気で、大人より健気に真剣さをもって言葉を選び伝えている。
 
嫌いなところは隠していいし 好きになるために見せてもいいの
 この愛らしさ気づいた? 誰かがあなたを笑っても
 ありのまんまはサイコーなんだ 強く変わることも正解なんだ
 
 
挑発したり煽ってるわけでも無い。
この曲が対話しているのは涙を流している過去の自分や
今現実と戦っている自分やあなたに向けて
歌い手とリスナーという距離を超えた同志として届けてくれる。
 
 
 
このタイトル名はスランプや暗闇の渦中にいたら出せないタイトルだと思う。
そんな汚いナイフと戦う時代は通り過ぎたし、超えてきたのだという風に伝わった。
 
 
「MY BODY IS CUTE」このタイトルに曲調にビジュアルとPV。
この意味が分かるだろうか。
 
「は?笑っちゃうんだけど」「痛い」とか
表面だけで判断して頼んでもないのにわざわざ批判する人達
・・・がいたらむしろ笑っちゃいそうだ。
危ない、自分もそっち側の一人に足を入れかけていた。
 
むしろ彼女の方からどうぞ、大いにスルー大歓迎なのだ。
リスクのある層(人達)がクリックも避ける様な
カラフルで甘いお菓子やぬいぐるみのようにデコレーションコーティング。
それは攻撃を兼ねた鉄壁のシールドだ。
 
そしてそれを自ら発信していくエネルギーは過去と未来への自分を繋げて
誰も傷つけることのないポジティブな前進攻撃になる。
 
そう、攻撃は最大の防御なのだ。
どんなにタフになったりダメージに強くなったりしても
そもそも無駄な戦いに時間やエネルギーを消費する必要もないのだ。
 
 
 
ここでもう一度口にしよう「MY BODY IS CUTE」。
勘が良い方はタイトルの意味が変わっている事に気づくだろう。
 
溢れる笑顔と強さと信念、そこでエンジンとなって昇華される
いつかの勇気や涙を感じられるだろうか?
 
 
ん? 再び取り上げるが曲の中でも印象的な
嫌いなところは隠していいし 好きになるために見せてもいいの”

denyのMVに関して、もし実体験に近い意味合いが込められるているならば

見せない事も出来たはずのシーンを見せたのは、

彼女自身が過去を痛みを好きになるために選んだ

勇気を込めた攻撃のひとつと言えるんじゃないのか。

作品にする事で、リスナー達にも救いの手、ヒントを伝えてくれている。

この曲を好きになって、何かが繋がりそして吹っ切れたのだ。

この愛らしさを築いて来た、彼女の歴史書を紐解くように

こうして彼女の姿に見えていた「deny」の少女が昇華されていくのを感じた。

誰にでも弱い自分や、辛い過去もあるだろう。

思えば何だか「deny」MVの中の壊れそうな主人公を見たくなかったのは

もしかしたら彼女の中に自分自身を投影していたのか。

きっと見たくないのはMVではなくて自分自身の弱さだったのかもしれない。

他にも多くのリスナーの見たくない姿が投影されていたとしたら

MVクライマックスで救われたのは、

もはや彼女の過去というスケールでは無く、この作品に触れた者たち

傷だらけでどうしようもない現実に打ち砕かれた主人公達の崩れ落ちた羽。

“心は私たちのものなんだと、明日をみつめなきゃ”と諦めずに声を掛けて

その青い羽1枚1枚が、報われる様に 救われるかの様に再び舞い命を吹き返すのだ。

2曲が互いにリンクして救い救われた。

こうして「bonsai」きっかけで、避けていた「MY BODY IS CUTE」を好きになり、
今度は自分の中で背けてた「deny」MVをようやく受け入れて観る事ができたのだ。
 
※この「deny」の記事は3ヶ月以上かけて書いており、これを書いている間にこれらリンクが起こった。
この記事を書かなかったらこれらの曲の本質も知れず、「deny」mvも封印したままになったと思う。不思議だけど、なんだか必然にも思えて面白いなぁ。
 
 

「MY BODY IS CUTE 」MV

MVの紹介を敢えて最後にした。
冒頭で紹介して「あーこういう曲ね~」と
軽くスクロールして欲しくなかったからだ。そう、いつかの自分のように。
 
ここまで長文を読んで下さった方々になら、
聴こえ方も見え方を超えて、
この曲のメッセージや奥にある物が届くはずと信じている。
 
ただ、これはこれでバイアスかけてしまってるので、
全然気軽に聞いて良いのだ。実際どう聴こうと捉えようとも
それが各々にとってポジティブに作用するのなら素晴らしいと思う。
色んな感じ方聴き方があっていいし、どれも正解なんだ。
 
 
 
 
 

最後に

この先曲の背景を知ることもあるかもしれない。それはそれで、
あぁそうだったんだ!という驚きや発見、感動があると思うし。
全然違っていたとしても、勘違いで良かったと幸せにしか転ばない。
 
 
エンタメ作品は受け取り方はそれぞれご自由に無限の可能性はある。
「よく分かんないけど、なんとなく好き」でも十分有りだし素晴らしいことだ
 
色んな背景を考えたり、曲の奥行に少し触れて色んな角度から楽しめる事も素敵な事だと思う。
この記事の様に、作品に触れて空想や妄想することも、
それがポジティブな方向でであるならば掛け替えのない事だと思う。
 
そして表面以上の事を知れたり感じたり出来たら、今回のように
楽曲単体の枠を超えて、作品の魂の限界突破が起こるのだと思う。
 

もちろん、戦いは終わったわけじゃない。今後も

何度も強敵や困難もやって来るし涙も流したり日々戦っていくのだ。

笑顔でいる事の勇気と大変さを知っているからこそ

彼女は笑顔でこの曲でリスナーと自分自身を鼓舞しているのだ。

今は僅かでも心強い勇気や優しさ強さの糧を築けたなら

こんな日は休日でも平日でも、水曜日でも金曜日でも構わない。

自分の心次第で、幸せのカタチも変えてゆけるのだ。

これからも発見や感動に心を踊れる自分でいよう。
 
 
 

と言う事で今回は詩羽「deny」「MY BODY IS CUTE」考察コラム風ストーリーでした。

2月から書いていて当初コラボ曲も組み込んで4章仕立てで前編後編の2記事だったものを

再構築して1記事にまとめたのでいつもと違う感じになってます。

後日、コラボ曲に焦点を当てた記事もアップ予定です。

DEHA

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