浜崎あゆみと、30万枚限定CDの戦略について迫るコラム第3弾。※約2年ぶりの更新m(_ _)m
今回は第2章の 浜崎あゆみ30万枚限定CD戦略-2章Kanariya「globeを通して見る現実」
に続く第3章の記事です。
リカットが続く理由??教えてライコス
1999年11月に「appears」『LOVEppears』同時発売、12月に「Kanariya」リカット。
そして翌年、2000年2月にも2ndALから「Fly High」をリカット。※ちなみに”教えてライコス“とは、当時浜崎が出演していたサーチエンジン「LYCOS」CM内でのセリフです(「Fly High」がCM曲だった)。
浜崎あゆみ / Fly high (ayu)
年末年始も挟み、彼女の一般層への認知度もかなり浸透した時期。「Kanariya」とは一転し、今回は売れ線曲。
しかし実質3枚目のシングルカット、さすがにレアまで行かないもののほぼ完売。ここまでは、間違いなく30万枚限定ブランドは成功していたと言えるでしょう。
しかし(前作「Kanariya」も含め)大幅にリミックスされているものの、リスナーはそろそろ浜崎の新曲を求めていたはず。
なのに、なぜシングルカットを続けたのか?それはavexの松浦勝人(Max Matsuura)氏の経営方針にあったと思われます。
音楽の売り方と 聞き方の変化
海外アーティストはまず、新作アルバムを発売して、そこから何枚もシングルを切っていく(それ自体がALのプロモにもなる)というのがスタンダードになっています。
長期的にアルバムのプロモ展開を、何段階にも分けて行っていることと同義で、まず本体(アルバム)をきっちりと示した上で、リカットでさらにその魅力をさまざまな角度からアピール出来て、セールスを長い目線で伸ばしていくことが可能になる。
ビジネス面では、ある意味ロケット本体(AL)と切り離しブースター(リカットSg)の様だとも受け取れますが。
日本の音楽業界では殆どの場合、ここが逆転していて、シングルが本体というか、シングルありきのアルバムになっている(ケースが多い)のが特徴ですね。
それでも、AL1枚の作品性を重視したアーティストや90年代初期位までのアイドルも、ALの作品性コンセプトに合わないSgは(たとえヒット曲でも)収録しないという事はよく見受けられました。(リアレンジや、苦肉の策としてボートラ扱いにて収録というケースも)
この時代はレコードからCDに順々に移行していた時期とは言え、録音メディアはカセットテープが主流という時代。好きな曲をセレクトしても、リピートしたければ巻き戻したり、カセットの主面と裏面を入れ替えたりと一手間かかっていました(オートリバース機能はあったが)。
そんな中で、頭出しもボタン一つでOKとなったCDも、対応しているCDラジカセやミニコンポでは曲順を選んで再生するプログラム機能対応の機種もあったと思いますが、入れ替えの激しいCDという特性上、使っている方は少なかったと思われ。
そんな中1曲or1枚リピート機能くらいは、ほぼ全機種にあったと思いますが、リモコン対応機種もまだ少なかった時代。1曲毎に本体まで行ってピットと(〇曲目の)ボタン押すというのも中々面倒でしたし
レコードやCD(カセット)もAL1枚をそのまま流し聞くという機会も多かったと思うので、現代よりも何倍も、曲間の流れや空気感も重視して作られていたと思います。
今は、売り手側もサブスクや配信、聞き手も自分のプレイリスト等で AL単位というよりも曲単位、気軽に”聴きたい曲”だけをピックアップしてカスタマイズ出来る時代なので、コアなファン以外にはAL1枚の作品性よりも、ボリューム重視に焦点が置き換わっている気がしますね。
CDアルバムを映画で例える
これは映画で置き換えれば、シングルはあくまでもチャプターの一つで、アルバムが本編、先行シングルなどは予告編と言い換えてもいいでしょう。
洋楽では、まず何をおいても先にアルバム、つまりは本編を見てもらうわけです。
余分な情報や、印象は最小限に抑えて、リスナーにまっさらな感覚で感動や感想の共有をしてもらう。
そして、リカット等でそのシーンをまた別の視点・角度(別アレンジ)からも眺めたり、登場キャラクターたちのその後を垣間見れたり。本編の世界をより深く楽しんでもらう。
本編で心を掴まれた人たちは、こうしたスピンオフとも言えるリカットSgも思わず手にしてしまうでしょうし、こうした作品がきっかけで本編に興味を持つ人も増えるでしょう。
日本の楽しみ方だと、下手したら予告編(Sg)だけ楽しんで満足して、本編(AL)は見たこと無いという人が多くなってしまう。
もちろん音楽は娯楽だし、それが切り取られた予告編や物語の1つのチャプターだとしても、そのリスナーが満足して幸福になるならば、それも1つの素晴らしい形だと思う。しかし、作り手からすれば、やはり本編を見て欲しいと思うだろう。
そう考えたら、一見リカットだろうとリリースを増やして少しでも稼ごうという商業的な戦略に見えがちですが
音楽を愛するいちリスナーとして松浦氏が挑戦していた事は、非常に格好良いい事だったのだなと思いました。
avexの松浦社長は、この洋楽のフォーマットを日本でも生み出したいと思っていたでしょう。浜崎だけではなく、(主に96年の)TKファミリーなどavex主要アーティストの多くはシングルカットしていた気がします。個人的にはこの考え方に共感しますし、今でも支持してます。
しかし、日本の音楽市場では、シングルカットする事で、多少のアルバム延命効果が有る位で定着は難しかったですね。
スピッツ「空も飛べるはず」(これはリバイバルか)やSMAP「世界に一つだけの花」の様にリカットされたそのシングル自体が大ヒットするのは非常に希なケースです。
例えば「あれ?今回の○○のシングルあんまり売れてないねー。」「あれ、アルバムに入ってたやつだよ」「あー、だからかー」と、シングルカットだと認知されていればまだ良いのですが、
ファンでもない限りは、リカットなんて知ったこっちゃ無い訳で、下手すると「○○の新作、あんまり売れてないねー」だけで終わってしまう。こうした一般人の失速イメージが、見えない部分で実際にそのアーティストの勢いを奪ってしまうパターンもあると思います。
そういう意味でも、制作予算・時間を抑えられるなどの利点もありつつ、非常にリスクの高いリリース形式とも言えます。
特に勢いや旬のイメージが重要なアイドルに、シングルカット曲が極端に少ないのはこれに尽きると思います。リカット等の事情関係無しに「あれ?もう売れてない?」という表面上の印象が、その後の歌手生命に直結してしまう影響力があるからです。
また日本では連続○位!等の記録も比較的重視されているので、このシングルカットは、そうした記録面においてもリスクが大きく見返りが少ないと、毛嫌いされてしまうのでしょう。
個人的には純粋に音楽作品として、作品(AL)の世界をより深く広げてくれるシングルカットの流れは好印象ですが、まあ商売ですからね。
ただでさえ流通商品としてのCDが減ってきていますし、音楽業界のバブルだからこそのリリース形態だったのかなと思います。現在は物流コストも抑えられるので徐々に配信にもソースは移ってきていますから、日本では今後リカット作品が増えるとしたら、先行配信があるのだから、配信リカット!?という形ならば、流行る可能性はありそうですね。
という事は浜崎あゆみ「30万ダウンロード限定配信シングル」(長っ)が出る可能性もある訳か!(既に、先着~/期間限定配信などは色々あるでしょうが)
でも、何件も店頭を回って「ここには、まだあるかな?」とドキドキワクワクしながらCDを手に入れるのは、その”探す”という行為(プロセス)自体が、手にした時の特別感に繋がるので、配信だと限定にしたところで、基本的にその大事なプロセスが省かれてしまうので、その音源に愛着が湧き辛いとは思います。
音楽や映像、ゲーム、本なども時代の流れとしては、データ化商品が増えていきますが、人間の情を移し易いパッケージ品は、今後も優位な部分もあると思うのでしぶとく残って欲しいですね。
“ベスト盤”は交換条件 !?
ベテラン勢になって行くと、Sg無しのALも出すパターンも増えますが、(Sg製作の予算が無いケースを除く)それを意図的に出来るのはTOPアーティストでもひと握り。
よくあるパターンは、ベスト盤リリースから近いスパンでオリジナルALを出すパターン。
基本的にアーティストは商業主義の強いベスト盤のCDを出すのは抵抗が有るはずで、殆どの場合(タイミング含め)レコード会社主導でのリリースになっていると思います。
そこで駆け込み的なベスト盤の方々には当てはまりませんが、新作(オリジナル)の製作予算の確保を条件に、ベスト盤の発売を承諾するケースは結構多い気がします。
皆さんの好きなアーティストで考えてみて下さい。ベストやシンコレの直後のALでは、わりと本人のやりたい世界観の作品が多いはず。(アイドル等プロデュースされている場合は除く)
まあ彼女の場合は、新作と引き換えにというよりも
avexという一(いち)企業の業績に高い影響力を持っていた為 に、会社側の決算対策として販売された側面も大きいと思われます。 ※参考『A BEST』(2001年3月)、『A BEST2』(2007年3月)
・・・と、ここまでは主に2017年秋に書いていた記事でしたが、最近出版された彼女の本が話題なので、ここだけ30万枚戦略とは離れてしまいますが、最後に追記します。
今話題の本「M 愛すべき人がいて」
8月1日に発売された『M 愛すべき人がいて』。浜崎本人のエピソードを元に、プロの方が書かれた文章で物語仕立て?で構成されているようですね。
自分はまだ未読ですが、主にMAX松浦氏と彼女の当時の恋仲を告白、「M」等の楽曲も彼への思いが反映されていたというのがTV番組でも大きく取り上げられていました。
ふたりの関係については、当時から”グレていた自分を松浦氏が見つけ出して、救ってくれた”的な事を
(たぶん)雑誌等でよく目にしていたので、まあ二人の関係はグレーゾーンに感じつつ、深い絆で結ばれている2人という認識のファンの方も多かったと思います。
個人的には一番松浦氏を感じていたのは「Who…」で「誰があきらめないでいてくれた?」という所。発売当時から松浦氏の事であろうなと聴いていましたし、今回の事もそこまで驚きはありませんでした。
まあ「M」に関しては、当時hitomi「MARIA」に影響されたのかな位にしか思ってなかったので、彼へ向けての意味合いが大きかったのは、ちょっと驚きましたが。
余談だが「TO BE」の「君がいたからどんな時も~君がいなきゃ何もなかった」などの歌詞は
「きっと あゆが、朋ちゃんの事を思って書いた歌詞だ」というファンの声もありました(当時浜崎は、人気が失速した華原朋美の後継ポジションという声が多かった)が、実際はその辺も松浦氏へのメッセージが強く出ていたのでしょうね。
まあ作品は、正解や間違い等では無く聞き手の解釈で無限に広がるものだと思うし、今後もそれぞれにとっての「M」やストーリーを大切にしていけたら彼女も嬉しいのではないでしょうか。
さて、次回の4章では、「遂に訪れる宇多田ヒカルとの頂上決戦、しかしそこに新たなる刺客が現れる!?」
という内容です。お楽しみに。
コメント
浜崎あゆみの本が話題になってからこのシリーズを再開するんじゃないかと期待していたので嬉しいです^^
小室哲哉の台頭辺りからJ-POPに洋楽的なセンスが強く出るようになった印象があります
CDジャケットもPVも格段にオシャレになってそれまでの歌謡曲的な泥臭さが拭い去られたように見えました
松浦勝人氏による洋楽的なアルバムの売り方は小室氏の影響も大きいんじゃないかなあと思います
ただいまだに日本ではシングルの存在感が強くてオリジナルアルバムを全曲通してリスナーに聞いてもらい一つの世界観を感じてもらう流れは主流にはなりませんでしたね
多分自動車大国のアメリカでは自動車通勤・通学の際にオリジナルアルバムを一人の空間で丸ごと聴く習慣が広く根付いているけどそんなゆとりのない日本人には隙間時間にシングルをちょこちょこ聴く習慣の方が国民性に合ってたんじゃないかなと想像します
曲名が「MARIA」ではなく「M」だったのは松浦氏のイニシャルに掛けてたという理由もあったんですね、20年近く経って合点がいきました^^;
「Fly high」のシングルを当時買いました
ピンクの透明ケースに目を閉じて寝そべる浜崎あゆみの写真が盤面にプリントされていてシンプルにそのデザインの美しさに惹かれて買ったような記憶があります
歌詞は上京する前の自分と東京で夢を叶えた自分を比較した内容だと思います
PVはステージで歌う浜崎あゆみとそれを見つめるフードを被ったもう一人の浜崎あゆみという構成で、おそらくフードあゆの方が地元で燻ぶっていたころを表しているんじゃないかと思います
この歌の「君」もきっと自分をスターダムに押し上げてくれた松浦氏のことなんでしょうね
次回も楽しみにしています
コメントありがとうございます。そろそろ仕上げなくてはと思いつつ
仰るとおり、本の話題にも後押しされ、重い腰が上がりました。^^;
>小室哲哉の台頭辺りからJ-POPに洋楽的なセンスが強く出るようになった印象があります
>CDジャケットもPVも格段にオシャレになって
PVがスタンダードになって来たのはCDTV等のランキング番組が流行ってきたことも影響してそうですね。
印象的には93~4年でPVの重要度が認知されて
95年にはほとんどのSg曲でPVが存在するという状況だったと思います。
ご指摘のTK作品の影響も大きいと思います。華原朋美を例にとっても(当時では珍しかった)Sg曲PVのVHSも発売したりと、PVを”宣伝映像”から一つの「映像作品」として積極的に力を入れて成功していたのも
他のアーティストやレコード会社にも大きな影響があったと思います。
>多分自動車大国のアメリカでは自動車通勤・通学の際にオリジナルアルバムを一人の空間で丸ごと聴く習慣が広く根付いているけどそんなゆとりのない日本人には隙間時間にシングルを
なるほどと思いました、すごく的を得ていると思います。アメリカはAL、日本はSg的な傾向も、”移動手段(や環境)”という観点から見ても、無意識にその国民性(ライフスタイル)が現れているのかもしれません。
>「Fly high」のシングルを当時買いました ピンクの透明ケースに目を閉じて寝そべる浜崎あゆみの
クリアケースに歌詞カードも透明なので、下手すると安っぽく見えてしまいそうなところを
しっかりとお洒落な感じに仕上げてましたね。バレンタインデーが近いのもあってか、うっすらチョコ感もありました。
そうですね、ご指摘のステージの浜崎あゆみを冷静に?見る、あゆ(フード)はかつての彼女であり、深層意識の彼女みたいな感じだったと思います。この曲はまさにavexサウンドという感じで、今でも人気高いですね。